(、._. )、nA

お久しぶり

―――「お久しぶり」ってタイトルはなんてありきたりなんだろう。

2020年ぶりの投稿となる。 世界も世間も身の回りも3年前と比べ大きく変化した。街を歩けばインバウンド需要に辟易するほど、コロナ禍の収束ムードを肌に感じつつ(謎の喉風邪が流行っている)、コロナ禍で積極的(無意識ではあった)に行った縁の広がり一旦抑え、再びより先鋭的な人間関係を求む内向性をとり戻した昨今。 以前は他者からの眼差しを乞うが如く、あざが痛々しい酸味のある発言を繰り返していたが、今となってはそれは自己同一性の獲得過程に過ぎなかったと一蹴できるほど、己が態度に過激さを失ってしまった。

そんな中で、人は今まであって当たり前思っていたものを失いかけてから、その存在の重さに初めて気づくことになる。などとよく言われているフレーズを強く感じる出来事があった。。 今般、長らく指先の運動を仮想のさえずり(場合によっては叫びや罵りとなる)に変換する機能と場所を提供してきたサービス(Twitter)に不具合が発生しており、その存続が話題となっている。 上で記した通り、既に実存の関係に重点を傾けている現在の態度からすれば、長らくアイデンティティの獲得に寄り添ってくれたサービスの終焉は寂しい気持ちもあれど、それを受け止められる状態になっていることに正味驚きを覚えている。 他人の生活の片鱗やエコーチェンバーの中の世間を知るために、日夜(ほぼ深夜)スワイプを欠かすことの無かった生活から脱し、基礎が既に危うい人生設計の目標に向かって持てる時間を注ぐ生活にシフトすべきとは自負しつつも、なんだかんだで代替先のサービスを探しまわっている。

そんな中、大昔(インターネット時間)に一時期取り組んでいたこの媒体を思い出した。

このbearblogは自分にとってはちょうどいいプレイスかもしれない。 ここは、決して交流はなくとも(基本的にTwitterでのリプライの問答は嫌いである)、思っていることを吐露したい。また、誰かが何かをしていることを知りたい。といった無意味な要求を少ないエネルギーで叶えてくれる。あとクマがかわいい。

ということでこれからどうでもいいことを書いていきたい。街の会話以上、エッセイ以下、お気持ち表明極力なしの自分にとって無価値のアウトプット、ただ自分の実在の足跡として、生活の残留物を残して行ければいいと思う。